実はこれを語るには、面倒な問題があります。

まず大きな問題は「悪」の定義が明確でないからです。

深く考えると哲学者のような廃人になるので、

浅いところで考えてみましょう。

というか、「悪」とは何かという難しいことじゃなく、

それを題材に子供たちにどう接していこうか?というお話です。

結論も答えもない話ですので、こういう考え方もあるんだなと

いう程度で聞いてもらえば幸いです。

まず、悪の反対語は善と正義と2種類あります。

正義のこと言いだしたらとてもじゃないけど、

私も説明が無理なので、善の反対の悪について考えてみましょう。

具体的な内容に入る前に、これまでの哲学者が考えた悪について

考えてみましょう。

① 善いことは絶対にやれ!悪いことは何があろうとするな!

(カント的考え方)

善悪を絶対的なものと考え、善いことは問答無用でやれ、

悪いことは絶対にするなということです。

ちょっと危ない考え方のようでもありますが、一理ある考え方です。

例をあげてみますね。

 

〇「挨拶をしろ」挨拶はいいことだから、必ずしろってことです

。私なんかは初対面の人がにこっと笑って挨拶されると、

こいつ詐欺師じゃねぇ?なんて思っちゃうんですが・・・・・

逆に斜に構えた詐欺師なんか考えられないから、

それくらいの方がちょっと安心しますが・・・

「笑顔で挨拶」=「詐欺師」というレッテルを貼ったら

、突然やめる人がいますが、ようはどういう気持ちでやっている

かということです。自分が気に入れたいためなのか、

相手に気持ちよくなってもらいたいのか?

順序的には相手が気持ち良い

(相手の判断によって)自分が気に入られる。

あくまで相手が気持ちよくなってもらうのが大事なのです。

そのことを考えないで、自分が気に入られることだけ考えてやる

のはどうでしょう?そういうことです。

ようは、笑顔で挨拶して、相手が嫌な態度をとっても、

「何だ、あいつ。」となるのはおかしいということです。

 

〇「嘘はつくな。」

嘘をつくことは悪いことだからいかなる状況でもついたらダメ

だということです。それは人助けだと考えていても、

何かを守るためでも、正直に言ったら他人を傷つける

場面でもダメだということです。問答無用でだめなのです。

ようは本当に人助けのために使ったの?他人を傷つけないためなの?

本当は自分のためじゃない?傷つけないため?

単に本当のこと言うと自分が嫌われるからと思っただけじゃない?

その嘘ばれたら、その人もっと傷つくんじゃない?こんなところです。

善のために嘘を使うと言って、本当は善でも何でもないんじゃないか

ということですね。

ようは人間には理性の限界があったり、誘惑に負ける

絶対的な判断もできないので。

行動パターンをきっちり制限する必要があるということです。

この考え方は子供には有効だと思います。

「いい大学に入りたければ、勉強しろ」

「スマホを没収されたくなければ、ゲームをするな」

とこちらが言った場合

「別にいい大学行きたくないし」

「ゲーム出来ないならスマホいらないし」

と答える子供にどうしますか?

○○したければという前提を覆されるともう議論としては負けですよね。

でもこの考え方では、勉強することはいいことだから

問答無用でやれとなります。

この善いことは必ずやれという前提で話をすると、

その後のこちらの説得は楽になります。

そうでなかったら、大学に入ると何がいいことがあるか、

入らないとどうなるかってことから話をして説得しなければいけません。

「別に立派な人にならなくてもいいし」ならまだしも、

「大学行かなくても立派な人はいる。」と子供に言われたらどう答えます。

正直、私は詭弁や嘘を使わないとこの子供の説得など無理です。

使っても正直無理かな?そもそも嘘や詭弁など使いたくないし、

悪いことだから私は絶対しません????

子供の躾という点に関してはとても有効な考え方だと思いますし、

シンプルでいいですね。

ちなみに私は「〇〇したければ・・・」は

〇〇したい人間にしか使いません。

いつも言ってることは、

「勉強しないと絶対に成績は上がらない」

「勉強は一人でやるものだから、やればやっただけ、

他のことに比べて成果は出やすい」とだけ事実を言って、

あとは本人に考えさせます。

どんなに成績の悪い子でも成績はよくなりたいと心の中

では思ってますからね。

そして普通に考える」「シンプルに考える」

ことが大事だといつも考えています。

ようは、楽して何か成し遂げたいなんて妄想でしかないことを

ちゃんと伝えることが大事ではないかと考えています。

 続く・・・・・・