〇言葉の定義
「信用」過去の実績や振る舞いを元に信じること
「信頼」過去の実績や振る舞いとは無関係にこれから未来のこと
を無条件で信じること。(自己責任で信じる)
Ⅰ)信頼しても信用するな。
過去の実績だけで未来を信じるなという意味。
思考を停止して信用した瞬間、相手任せになり、他人事になる。期待だけして、
自分は努力しなくなり、最終的に自分は責任を放棄して、相手に責任を負わす。
つまり相手の能力を信用してはいけない、助ける気持ちを常にもっておけという意味。
オオカミ:最初に私に会ったときのこと思い出すと自然と答えは出てくるよ。
私を信用してなかっただろ。
赤ずきん:信用してくれってこと?
オオカミ:そんな迷惑なことやめてほしいね。信用に答え続けるのは無理だよ。
子ブタちゃんのようになりたければ信用したらいいよ。(11勝利より)
Ⅱ)信じるものは救われる。
Ⅰ)で述べたことの全く逆の意味を言っているようだが、信じるのは自己責任。
自ら思考を止め覚悟を決めるということ。2人の信頼というより個人の信頼と
言うべきか?
オオカミ:ところで、なぜ煙突まで登ってこなかったんだい?
私の作戦知っていて、知らないふりしていたから、てっきり
登ってくるものだと思っていたよ。(12二人の晩餐より)
オオカミの作戦を赤ずきんは解っていると察知し、知らないふりをするのは
私に復讐するのかもしれないと疑っている。
そして、復讐するなら、煙突に登ってきて、私を突き落とすのではないかと予測している。
オオカミは赤ずきんの手によって煙突から突き落とされる覚悟を決めていた。
この段階では2人は愛を育んでいない。ただ自分のことより赤ずきんの気持ちを優先して
その未来に対して責任を持っている。
赤ずきん:おばあさん殺したの誰?
オオカミ:それ知る必要ある?食べたのは私で間違いないよ。
猟師のおじさんは私を見たとたん逃げていったよ。(12二人の晩餐より)
このようにオオカミはおばあさんを殺してないようだ。おそらく猟師のおじさんが
謝っておばあさんを殺したのだと推察される。それを食べただけである。
もしかしたら、猟師をかばうためオオカミは食べたのかもしれない。
オオカミの行動から赤ずきんもオオカミがおばあさんを殺してはいないと判断し、
このような台詞が出たのだと思う。こうやって相手をしっかり観察して考えることにより、
本当の信頼や愛が生まれるのだと筆者は語っている。
ここで少し話はそれるのだが、大切なことなので解説しておきたいことがある。
「食べたのは私で間違いないよ。」の台詞に違和感を感じた人が多いと思うが、
たとえ、オオカミが殺してなくても食べちゃだめだろと思っているからだ。
しかし、このことでオオカミを否定するのはおかしいことだ。
なぜならそれは思考を停止した常識(道徳)で何の根拠のないことを元に否定する
という意志決定しているからだ。
オオカミがおばあさんを食べることで、誰に迷惑をかけたのか考えてみればおのずと
答えはでると思う。
これは物語なので流して読んでいる読者も多いと思うが、この常識(道徳感)が違う
という理由で相手を拒絶したり敵対したりするのは愚かなことである。
赤ずきん:子ブタちゃんたち性格悪かったから、ますいかもね?
オオカミ:性格は関係ないよ。それに性格悪いからって素材自体が悪くなるもの
でもないでしょ。味自体は素材と調理法で決まるものだよ。
兄たちが途中で降参してたらレンガの釜度は使えなかったでしょ。
赤ずきん:つくづく思うがオオカミって、冷たくない?
オオカミ:そうかな? 私は自分ではそうは思ってないけどね。実際、おいしい
料理を2人のために作っているから、それで充分でしょ?(12二人の晩餐より)
?
大事なのは思考を停止して無理やり道徳感を合わせることではない。
ちゃんとオオカミのように説明して分かってもらう努力することも大切だ。
お互いが納得いくことが大切になってくる。
そして大事なのは道徳感が合わない場合はこういう考え方もあるのだと受け
入ればよいのだ。我慢するのではなく受け入れることが大切である。
また、わからないことは遠慮せずにとことん聞くのがよい。
実際問題、済んだ過去のことはどうしようもないので話す必要は全くないのだが
現在の相手を知る上で参考になる場合もある。疑うことは大切なのだが、疑問に
思ったことは聞いて、相手を知ることはもっと大切なことだ。
オオカミ:母は凄く私を愛してたからね。それを私がちゃんと理解していたから母は
簡単に私のために死ねたよ。私が悲しんだら母は報われないでしょ。(12二人の晩餐より)
こうやってお互いが相手を知る努力をすることによって相手を未来に対して信頼して
いく、無条件に信頼はしているが、二人は思考を止めていない。
それでは思考を止めて信頼するとどうなるか?
Ⅲ)信じ合うと最悪の結果になる。
「信じ合う」と言う言葉は一見美しく聞こえるが、Ⅰ)で述べたように
2人で責任を放棄して期待だけする可能性がある。こうなると当然結果は最悪なものになる。
信頼して相手に期待するとは無責任なことだと筆者は述べている。
?
おおブタ:3人で協力して作ったこの信頼の家が僕たちに勝利をもたらすよ。(09最終決戦より)
おおブタ:そもそもこんな頑丈な家作るから、逃げられなくなったんじゃないか、
こんなに頑丈でなかったらバラバラに逃げたら全員死ななくてすんでたよ。(10子ブタの醜態)
このように「3人で協力して作った家」という作戦上全く根拠のない
ただ過去の3人の感動した出来事で思考を止めたため子ブタたちは全滅した。
思考を止めてなかったら、バラバラに逃げるという選択肢に気づいていたはずだ。
オオカミが煙突に上がったとき、赤ずきんを捕まえてレンガの家に連れ込んでいたら
オオカミのワラを入れるという作戦を止めることもできたかもしれない。
実際にはバラバラに逃げることには気づいていたにも関わらず、無責任に信じたために
その行動を放棄したのかもしれない。
ただ、3人で運命共同体と覚悟を決めて未来を共有していたら全員死んでも
このような醜態はさらさなかったはずである。
死んでも3人は幸せだったかもしれない。
では筆者は信頼関係を気付くには何が必要だと述べているのか?
Ⅳ)未来の目標を共有し努力し続けることが大切。
お互いに未来に向けて努力する状態が大切で、そのためにはこれからの目標の共有が
大切であり、期待や見返りと言った条件付きでなく、無条件に努力し合える関係こそ
が本当の信頼関係だと筆者は語っている。
赤ずきん:死を覚悟した勇気ある人といっしょに食事したくなったからかな?
もう、あんな覚悟は必要ないよ。
美しいだけの目標もいらない。
これからの目標はどちらかが死んだとき、この人といっしょにいて
良かったって思えるようにしましょ。(12二人の晩餐)
ここで2人の信頼関係が生まれ、同時にオオカミだけの目標をさらに進化させ、
2人の共有の目標が設定された。ただこの目標は「どちらかが死んだとき、この人
といっしょにいて良かった」という抽象的な目標で、さらに考えて努力しなければ
いけないと思われる。信頼関係が生まれたときは決してゴールではない。
よく結婚して、すぐ離婚するカップルは結婚がゴールになっていて、その先を共有
できなかったのだ。
赤ずきん:この楽しい旅はいつまで続くの?
オオカミ:どちらかが死ぬまでだよ。死んだらもう考えられないからね。
赤ずきん:考えられなくなってから感じればいいのね。運命の糸ってあるの?
オオカミ:よくわからないけど、もしあるとしたらこれから作る糸かもね。
赤ずきん:もうある糸だったら偽物だね。
最後に信頼関係は考えることだと確認している。
赤い糸や運命の糸のような思考を止めるような要素があるものは必要ないとも
確認し、運命は最初からあるものでなく、運命だったと思える関係をこれから
作ることだとお互いの考え方を次々と共有していっている。
そして「考えられなくなってから感じればいいのね」
とここで、永遠の愛を感じようとしているのかもしれない。
それとこの作品では述べられてないが、究極の愛と信頼というのは
「相手が何をしても許すこと」だと思う。
しかしこれは相手を慎重に選ばないと、実際に生活が送れなくなって破綻する恐れが
ある。ただしこのことは信頼関係を結ぶにおいてよく頭に入れておいてほしい。